ヘリコプターの危険な空力シリーズ第1弾は「ボルテックス・リング・ステイト(セットリング・ウィズ・パワー)」を解説します。
ヘリコプターのパイロットであれば、必ず知っておかなければならない「危険な空力」の一つです。
「セットリング・ウィズ・パワー」と言う方が一般的で、それでも長いので単に「セットリング」と言っています。
- セットリングとは何なのか
- セットリングが起きる要因
- セットリングに入りやすい状況と対策
- セットリングの回復方法
を解説していきます。
セットリング・ウィズ・パワーとは?
ボルテックス・リング・ステイト(セットリング・ウィズ・パワー)は英語表記にすると「Vortex Ring State(settling-with-power)」です。
略語で「VRS」とも言います。
パイロットの間では単に「セットリング」と言っています。
セットリングは主に底速度域で発生する非常に危険な空力現象で、この現象に陥るとヘリコプターの揚力が失われ機体を制御することが困難になります。
特に対気速度が30kt以下で降下率が500ft/min以上の時に発生しやすくなります。
セットリングに陥る流れとしては、パワーオンの通常状態で対気速度が0かそれに近い状態で機体が降下すると、メインローターが発生する上から下の空気流「ダウンウォッシュ」に対して下から上への空気流が入ってきます。
下向きのダウンウォッシュと機体の降下に伴う上向きの空気流がぶつかることで、メインローターの外周で渦(ボルテックス)が発生します。
この状態で降下を止めるためコレクティブを使うと、渦がさらに大きくなりローター面の中心部にまで広がり降下率はさらに増します。
セットリングが起きる要因
セットリングの発生には3つの条件があります。これらの条件を全て満たしたときにセットリングに陥ってしまいます。
逆に言うと、この3つの条件のうち一つでも満たさなければセットリングを避けることができます。
キーワードとしては降下率・使用パワー・対気速度です。
- 降下率が300ft/min以上(機体の重量や空気密度による)
- エンジンのパワーを使っている通常状態
- 対気速度が0かこれに近い
1.降下率が300ft/min以上(機体の重量や空気密度による)
3つのうち最も気をつけなければならないのは「降下率」です。降下率=下から入ってくる空気の流量です。
基本的にメインロータ周りの空気の流れは上面から下面です。これが逆転すると危険な状態になります。
セットリングというのはメインローター面に対して下からの空気流がないと起きませんので「降下率」が大切になってきます。
「300ft/min」という数字はあくまで目安で、その時の機体の重量や空気密度によってクリティカルな降下率は変わってきます。
しかし一つの目安としてこの数字を意識しておくだけで対応は違ってくると思います。
2.エンジンのパワーを使っている通常状態
セットリングはダウンウォッシュと下からの空気流が作り出す「渦」が原因です。
オートローテーション状態ではメインローターのピッチ角は0に近く、ダウンウォッシュを発生していません。
空気の流れはメインローター下面からの一方通行なので、セットリングに陥ることはないのです。
実際に訓練でも対気速度0ktのオートローテーションをしていますが、どんだけ降下率が大きくても(2000ft/min近く)セットリングに入りません。
3.対気速度が0かこれに近い
もうちょっと具体的にいうと「転移揚力が得られない速度」です。
一般的に転移揚力は対気速度約20ktで得ることができます。
なので対気速度20kt以下では注意が必要です。
転移揚力が得られているということはダウンウォッシュが下ではなく、前進飛行中であれば後ろにはけていきます。
この状態でいくら降下率を大きくしても自機のダウンウォッシュに入ることはないので、セットリングに陥ることもありません。
セットリングに入りやすい状況
セットリングが起きる3つの条件を理解した後は、実運航上どんなシチュエーションで入りやすいのかを知っておきましょう。
セットリングが起きる3つの条件を一文にすると。
「パワーオンでの飛行中、対気速度が0又はその付近で300ft/min以上の降下率で降下するとき」です。
これに当てはまるシチュエーションを思い浮かべてみましょう。
低速高角度でのアプローチ(スティープアプローチ)
実地試験の科目でもあるスティープアプローチです。
もちろんパワーオンで低速でゆっくり進入していきます。また進入パスが高角度であるため降下率も大きくなりやすいです。
訓練中もセットリングに対する意識を叩き込まれます。
ヘリコプターは広々とした空港だけでなくヘリポートや場外離着陸場といった狭い場所をよく使います。
こうした場所では周囲に障害物があったり、騒音の配慮などの関係でスティープアプローチを着陸方法として選択します。
対策1:背風にしない
対策としてまずできることは背風にしないことです。
背風でのアプローチ中は簡単に対気速度20ktを切ってしまいます。
転移揚力を得られなくなると機体の降下率は大きくなります。
また背風では後ろに流れていくはずのダウンウォッシュが機体の真下もしくは進行方向である前に行ってしまします。
そうなると自機のダウンウォッシュに入りやすくなりセットリングの危険性が高まります。
とはいうものの場外離着陸場では進入方向が一つしかない場合もあり、どうしても背風で下さなければならない場面も多々あります。
その時は進入の早い段階からパワーを入れておき300ft/min未満の小さい降下率でゆっくりと降りていきます。
しかしこの方法はある程度パワーに余裕がないとできません。
重重量でパワーに余裕がない場合には、この方法はおすすめできません。
対策2:速度を減じる前に降下率を減らす
スティープアプローチに限らず進入中は常にこれを意識しています。
スティープアプローチ中のセットリングの特徴として、不用意に速度を減少させてしますケースが多いです。
降下率が大きい状態でも速度が十分あればセットリングには入りません。
しかし、降下率が大きいまま減速していくと転移揚力を得られなくなった段階ですぐにセットリングに入ってしまいます。
逆に降下率を300ft/min未満まで減らしておけば、転移揚力が得られない速度まで減速してもセットリングに入る可能性はかなり低くできます。
限界に近いOGEホバリング
OGEホバリング中にもセットリングの危険性は存在しています。
特にエンジンのパフォーマンス的にギリギリの状態では注意が必要です。
風がない場合、ホバリング中は基本的に転移揚力を得られていません。つまりダウンウォッシュは機体の真下に流れています。
その状態で高度維持ができず降下に入ってしまうとセットリングに入ってしまいます。
対策1:下降気流に注意
ギリギリでのOGEホバリング中に下降気流によって機体が下げられることでセットリングに入る場合があります。
下降気流がありそうな場所(山の風下側など)でのOGEホバリングは避けた方が良さそうです。
対策2:退避経路の確保
万が一セットリングに入った時もしくは入りそうになった時にすぐに逃げられる経路を確保しておきましょう。
そして「もしセットリングに入ったらこっちに逃げよう。」と心に決めておくことが重要です。
パワーリカバリーのオートローテーション訓練中
パワーリカビリーでのオートローテーション訓練は接地ではなくホバリングで終了します。
そのためフレア前にパワーを通常に戻すのでそれ以降は模擬オートローテーションになります。
この最後のフレアで高度が高くなってしまい、コレクティブの使用が遅れるとセットリングに入る可能性があります。
対策:フレアが高くなってしまったら諦める
セットリングを回避することを諦めろということではなく、いい感じの高度でホバリングに移行することを諦めろということです。
フレア高度が高くなった後にその高度を下げてからコレクティブを使うとセットリングに入りやすいです。
なのでそうなるぐらいなら高い高度でコレクティブを使ってホバリングに移行した方がいいです。
せっかくパワーリカバリーでやっているので使うべきところで使いましょう。
セットリングの回復方法
最後はもしセットリングに入ってしまった時の回復方法です。
セットリングの回復方法は2つあります。
・Traditinal Recovery
・Vuichard Recovery
Traditinal Recovery
その名の通り「伝統的な」回復方法です。
昔から実践されている「セットリングの回復方法といえばこれ」というものです。
手順(Traditinal Recovery)
①直ちにコレクティブピッチレバーを下げる
②①と同時にサイクリックスティックを前方に操作
③前進速度(約40kt)を獲得後サイクリックスティックを引き機首を上げ降下を止める
④コレクティブピッチレバーを上げて上昇に転じる
①でメインローター周りの渦を減少させます。
②で自機のダウンウォッシュから抜け出します。
40ktぐらいに到達すればほぼ確実に渦から抜け出すことができています。後は必要に応じて上昇しましょう。
この回復方法は500〜1000ft以上の高度損失があり、高度に余裕のある状況でしか使えません。
アプローチ中などは使うことはできません。使ったとしても地面に激突して終了です。
Vuichard Recovery(ヴィシャードリカバリー)
Vuichardとは人の名前で、スイス人ヘリコプターパイロットのClaude Vuichardさんのことです。
この人が発明した回復方法なのでそのまま名前がついたんですね。
この回復方法はごく最近発明されたものですが日本のヘリコプター業界にも浸透しています。
ヴィシャードリカバリーはテールローターの推力を使って渦から抜け出す方法です。
先ほどのTraditinal Recoveryは前に逃げるのに対してヴィシャードリカバリーは横方向に逃げます。
またヴィシャードリカバリーの最大の特徴としては高度損失が20〜50ftとほとんどないことです。
なのでアプローチ中などの地面に近い場面でも使うことができます。
手順(Vuichard Recovery)
①最大のパワーまでコレクティブピッチレバー使う
②①と同時にパワーペダルを踏む(機首の向きを維持するように)
③①②と同時にサイクリックスティックをパワーペダルと反対方向に倒す(15°〜20°バンク)
Vuichardさん本人が実演した動画があるので参考にしてみてください。
メインローター周りの空気の流れが分かりやすくなっていますよ。
手順のポイントとしては3舵のコーディネートです。
調和の取れた操作がスヌーズな回復につながります。
やってしまいがちな失敗としてはコレクティブを急激に使ってしまうことや、機首の方向を維持できないことです。
優しく操作してあげましょう。
参考資料
AIRBUS SAFETY INFORMATION NOTICE「Useful information about the Vortex Ring State (VRS) phenomenon」