「ステライルコックピットルール」と言う言葉を知っていますか?
特にヘリコプターパイロットにとっては、あまり聞き馴染みがないかもしれません。
私も初めて聞いたときは全く意味がわかりませんでした。
しかし航空業界、特にエアラインの世界では広く知られているものです。
今回の記事では「ステライルコックピットルール」の概念や歴史的背景、そしてヘリコプターの運航にどのように適用することができるのか解説していきます。
ステライルコックピットルールとは?
ステライルとは日本語で「無菌の」と言う意味になります。
無菌と聞くとコックピットの衛生状態のことと思うかもしれませんが、ここでは何も関係ありません。
コックピットが衛生的であることは非常に素晴らしいことですが、ここでは少し意味が違います。
アメリカ連邦航空局(FAA)は1981年に「FAR 121.542Flight Crew Member Duties」でパイロットや客室乗務員に対して以下のような規則を定めました。
航空機が巡航飛行を除く10000ft以下での飛行中と地上走行中にあっては、運航に必要のない会話や活動を避け飛行のタスクに集中できるようにするためのもので、この間は客室乗務員から操縦室への通信も、緊急時を除き行ってはいけない。
タクシー中や離陸、着陸またそれに伴う上昇降下中は手順や管制機関との通信が多く、パイロットの集中力が最も必要とされる時間です。
運航に関係のない不必要な会話や活動によってパイロットの集中力は著しく下がってしまいます。
パイロットが飛行業務に集中できる環境を作ることが「ステライルコックピットルール」の基本的な考え方です。
ステライルコックピットルールに関連する航空事故
ステライルコックピットルールを遵守できなかったために、事故が起きてしまった事例がいくつもあります。
過去の事故事例から学び、自分が同じ失敗をしないようにしたいですね。
ここでは3つの事故事例を紹介します。
イースタン航空212便墜落事故
1974年9月11日、イースタン航空212便(DC-9)はアメリカ・サウスカロライナ州チャールストン空港からノースカロライナ州シャーロット空港経由でイリノイ州シカゴ空港に向かう予定でした。
シャーロットのダグラス空港に最終進入中、滑走路の手前約5Kmの地点の畑に墜落しました。
この事故で乗員乗客82人のうち72人が死亡しました。
事故機は当時、濃霧の中ダグラス空港へ計器進入を行っていました。
空港まであと少しのところまで来ていましたが、濃霧のため空港を視認できず高度も認識しずらかった状況だと思います。
そんな状況の中で、機長と副操縦士は運航には全く関係のない話に夢中になっていました。
注意力が散漫になった状態だったため、着陸進入の手順が疎かになっていました。
また機長と副操縦士ともに高度の誤認識があり墜落するまでそれに気づくことはありませんでした。
デルタ航空1141便墜落事故
1988年8月31日、デルタ航空1141便(ボーイング727)はダラス・フォートワース国際空港から出発する予定でした。
離陸滑走を開始しメインギアが地面を離れた直後に機体が大きく揺れ始め、尾翼の一部が地面と衝突しました。
その後機体は浮揚しましたが十分な高度を得られずにILSローカライザーのアンテナに衝突し右翼が炎上。その後も120mほど飛行したのちに墜落しました。
この事故により乗員乗客108人のうち14人が死亡、76人が負傷しました。
事故後の調査で離陸時にフラップとスラットが展開されていなかったことが明らかになりました。
フラップとスラットが展開されていない状態で、機長が離陸しようと操縦桿を引き続けたことで翼上面での空気が乱れ、その乱れた空気が機体後方のエンジンに吸い込まれたことでコンプレッサーストールを起こし十分な推力を得られずアンテナに衝突しました。
なぜ離陸前にパイロットはフラップとスラットを展開し忘れてしまったのかはコックピットボイスレコーダーを調べたことで明らかになりました。
離陸前にコックピットでは運航に全く関係のない会話がされており、このことにより離陸前の手順に抜けが生じてしまいました。
LAPA3142便離陸失敗事故
1999年8月31日、LAPA3142便(ボーイング737)はアルゼンチンのホルへ・ニューベリー空港から出発予定でした。
この事故もデルタ航空1141便と同様にフラップを展開しないまま離陸滑走を開始し、離陸警報装置がなっているにもかかわらず離陸を強行した結果、滑走路をオーバーランし機体は全損しました。
この事故により乗員乗客63人と地上にいた2人が死亡し、少なくとも40人が負傷しました。
事故後の調査では離陸準備を行なっている最中に、客室乗務員がコックピットに立ち入り世間話をしたり喫煙をしており、ステライルコックピットとはかけ離れた状態であったことが明らかになっています。
このことにより離陸前のチェックリストに抜けが生じ、フラップの展開をし忘れたと考えられています。
離陸警報装置を無視して離陸を強行したのも謎ですが、そもそも運航に集中しチェックリストの項目を確実に実施していれば、この事故は防ぐことができたと思います。
ヘリコプターにもステライルコックピットルールを
「ステライルコックピットルール」は特にエアラインの世界で広く取り入れられている印象ですが、ヘリコプターの世界ではどうでしょうか?
私はこの「ステライルコックピットルール」に関して、今まで教官に教えてもらったこともなければ、誰かが話しているのを聞いたこともありません。
ヘリコプターのパイロットの間ではあまり浸透していないような印象です。
しかし私はヘリコプターにも「ステライルコックピットルール」を積極的に取り入れるべきだと思います。
特にヘリコプターの場合はコックピットとキャビンの隔たりがない機体が多く、また機種によってはキャビンとホットマイクが全て繋がっているものもあります。
つまり乗客の会話が全てパイロットのヘッドセットに入ってきてしまうということです。もちろんキャビンの音声を遮断できるものもありますが、装備によってはできないものも多くあります。
空港での離着陸時など乗客の会話によって注意が散漫になったり、管制指示を聞き逃してしまう可能性があります。
したがって、ヘリコプターでは乗客にもステライルコックピットルールに協力してもらう必要があります。
乗客を乗せて飛行する場合は、パッセンジャーブリーフィングの際に説明した方がいいと思います。
ヘリコプターは地面近くを飛行する機会が多いため、パイロットには高い集中力が求められます。
どの飛行フェーズで運航に必要のない会話や行動をしないかを決めておくなど、自分の集中力が低下しないようにさまざまな工夫が必要ですね。